母の他界

ぼやき日記
chika

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34歳/ピアノ講師14年目/コミュ障/2児の母/8年前に楽器店のピアノ講師から、夢だった【個人ピアノ教室の先生】に。全ての関係者様との出会いとお付き合いに大感謝!
…と、順風満帆だった私の身に【乳ガン】が見つかり
ガンとの大乱闘が始まった!!

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2月14日

人生って本当に何が起こるかわからないもので

2日前に「ありがとう、じゃぁまたね。」の会話を最後に、たくさんの愛をくれた母が危篤(意識不明)になってしまった

原因は2回目の脳内出血(倒れたのは3回目)

1回目は14年ほど前のくも膜下出血、2回目はてんかんと思われる痙攣、3回目はくも膜下出血

連絡を受け、子どもを連れて大丈夫大丈夫と唱えながら車で病院に向かう

救急患者が運ばれている部屋の片隅

パーテーションで異様に仕切られた部屋に母がいた

ここ数年、ずっとバーバと呼んでいるのに自然とお母さんと叫んでいた

お母さん?お母さん?どうしたの?起きてよ!自分の好きな事だけやってたらいいから!!じーちゃんばーちゃんのことなんてほっといたら良いから!!!ねえ起きてよ!!!

泣き叫びながら声かけるも、手も足も顔もあったかい母は全く動かず目を開けてくれない

娘にも一目会わせるために看護師さんと廊下を歩く時「母はもう起きないんですか?」と聞く

「起きる起きないでいうと…先生から説明があったように、起きません」

「わかりました」

何もわからない、納得もクソもなく、ただ状況が飲み込めずに帰宅

2月15日

病室にうつった母

呼吸は止まっている為、人工呼吸器で呼吸をしている

ただ寝ているだけに見える

脳がバグって、もう起きないと言われても、理解できない

だって生きてるじゃん

心臓、動いてるじゃん

あったかいじゃん

娘は同じ様に理解できていない感じだがおそるおそる近づくも、息子は全く別人を見ているかのように寄り付かない

病室でただひたすらに泣く

もっと話したかった、まだやりたいことあった、大好きって言いたかった、愛してくれてありがとうって

後悔が止まらない

2月16日

ドス黒い感情が湧く

誰のせい?こうなったのは誰のせい?

事故したり山行って車壊して遭難しかけたりして家族の心配や助言を無視し続けた挙句、勝手に怪我して骨折して突然介護させ始めて、更には全力で頑張ってる母に四六時中電話してきて認知進んでるんか知らんがクソみたいな発言浴びせてたじーさんのせい??

ばーさんもベットから落ちて骨折して、ばんばん介護生活だから大変だって言ってるのに、全然助けに来てくれなかった母の姉妹のせい??

今できてんじゃん、姉妹で協力して、じーさんばーさんの面倒見れてんじゃん

なんでもっと早くからやってくれなかったの??

皆んなして意味わかんないくらい心労かけさせたからストレスで血管破裂したんじゃないの??

でもそれで言ったら、私のせい?

私が病気になって心配かけて、沢山フォローしてもらってたから?

人や自分をこんなに恨んだことない

恨んでもどうしようもないし、恨むのはおかしいってわかってるのに、現実を理解できなくて恨むことしか出来なくなっている自分が怖い

2月17日

喪服の準備と買い出しに出かける

自分の喪服を買い、子どものを探し始めるも、何故か気分が悪くなってしまい帰宅することに

自覚が全く無かったが、心の負担に限界がきている様だった

運転中、最近感じてなかったパニックの感覚がよぎる

なんで?そんな疲れてるっけ?

「今日は病院くる?」の連絡が重い

重いってなんだ?めんどくさいって思ってないのに、この嫌気はなんだろう

嫌気?母が危篤なのに、もしかして私、病院行きたくないって思ってる?

私、最低じゃない?

自己嫌悪

ありえない、病院に行きたくないだなんて

あまりのありえなさに怖くなり、夫に電話し心の内を明かす

辛い。病室に入るのが、母の顔を見るのが辛い。辛くて、病院に行けない。酷いよね。行ってあげたいのに、少しでも一緒にいてあげたいのに、こんな感情を抱くなんて。

父にも連絡。無理しなくていいんだよと言われる

弟にも話し、2人で大泣きする

俺も一緒だよ。辛いよ。の言葉に、自分だけじゃ無かったんだ、と心を救われる

心の整理ができたので、レッスン後に母の病室に寄る

2月18日

深夜、電話が鳴る

スマホから聞いたことのない電子音が鳴り響く中、弟の声で、もう限界みたい。と連絡があった

寝ている子どもを家に置いて夫に送って行ってもらった

病室に到着するとあの嫌な電子音が鳴り響き、その中で心臓が止まった母と父と弟がいた

悲しいより先に、少しの安堵を感じた

頭が追いつかず訳がわからない中で、葬儀場を決めろと言われる

自分がどうなっていたのか思い出せないけど、打ち合わせをしてお通夜

2月19日

お葬式の為に色々な準備

思い出の品、一緒に燃やすもの、遺影の写真、最後のお湯と化粧

その間視界にチラつく爺さんと婆さん

見たくない

空気の読めない発言と理解できない言動の人

一緒にいたくない

お母さんごめん、こんな心捨てたいのにどうしてもドロドロのものが取れない、何かもわからない

そのことを夫に相談する

それは無念を晴らそうとか、悔しいってことなんじゃない?と言われ、納得した

そうだ…そうかも。

そんなつもり全くないのに、この気持ちを言葉で言い表すならそうなる

最後のお別れ、お花を入れるときは言いたい事を全て叫んだ

お母さん、お母さん、嫌だ、大好き、もうゆっくりしてね、何も心配いらないよ、お母さんの子で幸せだったよ、子育て頑張るでね、本当にありがとう

火葬場で骨を拾う

娘がショックで一旦引くも、一緒に休憩しながらお話をして、頑張って骨を拾う

危篤の連絡を受けがあの日からの疲労で、いつ気持ちの糸が切れてもおかしくない中、お葬式が終わった

2月20日

今後のこと(主に介護)のことを話すために集まる

私と弟がバチバチの戦闘体制でいることを察した親戚が、思っていることを打ち明けてきた

母の生前に、介護を全面協力できなかった理由、孫に任せるつもりがないこと、自分達の親なんだから放り投げることはないということなど

それを聞いて心がスッとする

全てはスッとしない、言い訳に聞こえてしまうところもあるから

でもこれ以上恨んだって憎んだって後悔したって、どうしようもない

本人達の口から出たことを信じて、憶測で恨むのはやめよう

今度は私達が父を支えていかなければならないし守って行かないと行けないんだから、ここで歪みあっていても仕方ない

一通りのことが決まり、解散

2月21日

今日までの全てがドラマの中にいるみたいで、嘘みたい

母はまだどこかに居て、また会えるような気がしてならない

どこをみてもどこに行っても、今まで母がいなかった風景がなくて

何かに引っ張られているかのように魂が重い

浄土真宗?仏教らしいので、これから1ヶ月の間に何度か法事がある

ゆっくりゆっくり実感していくんだろうか

私も家族がいて、大事な仕事があって、それが手につかない!!なんて無気力にはならないけど

何かがふんわり無くなっちゃった

とりあえず、事故だけしないように気をつけていこかな

寂しいって思ったりふわふわしてる気持ちも無視せず大事にしていこ

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