極寒の中、ゴミ当番で立ってきました。寒かった。
ゴミを出しに来た人に、自分が言われたらちょっと嬉しいかな?と思う事を言ってみました。
「お疲れ様です!」
言うたび何となく空気があったまる気がした朝でした。
最近自分の中で色々考える事があり、「1秒でも無駄な時間を作りたくない病」になっていました。
- 時間がないは言い訳
- 時間がないはやる気のない証拠
- 時間がないから無理と自分の限界を決めつけたら終わり
最近ずっとこんな感じで、常にそれらを突き詰めていた結果…
「何をやろうにもやる気はあるのに力が出ない、というか頭の前の方が重くて目線が上がらない。」と夫に伝えると「一緒にゲームしない?」と、無理やり娯楽の時間を作るよう言われるくらい、限界まで自分を追い詰めていた事になっていました。
自分の事なのに、他人に言われないと気づけないとは…
「一生懸命が首を絞めるところまでいくのはダメだなぁ。私の今の環境の容量を認める時が来たか…?」と、自分の限界を認めるのもアリかなと思うようになりました。
そんな日が続いてもう一つ変わったのが愚痴を言う事。
私の中で愚痴は
- 言った所で解決しない意味の無いもの
- 言うだけ時間の無駄
- 聞いてる人を不快にする
- 自分の心が歪む
と言うものでした。
今まで愚痴を言わないように無理して我慢してた訳でもなく、それでストレスをためる事もなく来ていました。
自分が誰かの愚痴を聞くのは良いんですよね。
「たまってるんだから聞いてあげたい」と思ったり、「何か改善できる事はないか」と嫌な気持ちは全くなく、しっかり話を聞きたいと思う、不思議。
最近、私からポロッと独り言のように出た愚痴…(なのか文句なのか)を夫に拾われ話が広がり、「たまにはいいかー」と、ポロポロ次から次へと吐き出してみました。
問題が解決するわけでもないのに、何か心がスッとしました。
聞いてもらって同調してもらったからよかったのか、ただ吐き出して自分の本当の気持ちを再確認できたからなのか。
この所、味わったことのなかった不思議な感覚でした。
言ったところでどうにもならない事でも、吐き出すのもストレス発散になるんだなぁ
社会人なりたての頃はよく愚痴大会で発散してたのに、いつの間にかやらなくなったストレス発散方法を思い出せた感じがしました。
「自分が好きな自分」でいるのも大切だけど、ちょっと全速力すぎだ。
ウィルスのおかげで加速し続けるしかなかったんだろうなぁ。
「ウィルスなんかに負けるか。」と、諦められない事や妥協できない事など頑張り期間が特別長く続いてるのも原因だろうな…
知らない間にウィルス疲れが積もってきてる…
ちりつも侮れない…!
自己分析をするきっかけとなったこの闇期も無駄じゃなかったと思い、糧にして次に進む準備をしよう。
周りの人に迷惑をかけない為にも、自分の動ける範囲と価値観を今年中にしっかり整理して来年を迎える準備をしたいなぁーと思いました♪
コメント